バイオ研究者見習い生活 with ITを通じて感じたこと、ぼくなりのまとめ。

あの記事からもう2週間かぁ。この記事をきっかけにwet研究への付き合い方を考えはじめるようになった。


wetの研究は自然の真理を探究するという点で帰納的な研究が大前提となる。答えは自然(神と置き換えてもいいが)しか知らないわけで、権力は自然側が持っており人間は常にねじ伏せられる側にある。
どんな秩序だった仮説を立てようとも、方向性が違えばいくら研究しても答えにはたどり着けない。「仮説の証明」という最終目標はあるが、その仮説が「真」か「偽」か曖昧模糊な状態で、Wetの研究に邁進せねばいけないという点で、Wet研究者は苦しい。砂上の楼閣というか、今までの研究が足元から崩れる可能性がいつ起こってもおかしくない。しかし、土台の土台(例えば遺伝物質は核酸である、とか)を疑ってかかるほど時間も無いから盲目的に信じるしかない。こういう点で「宗教」と同類であると僕は思う。厳密性の程度の差しかないのではないか、と。


一方Dryの世界は「こうしたい」という目標を定めてから、人間が作った言語をこねくり回して、アプリケーションを完成させていく感じ。絶対的な権力をヒト側が持っており、コンピュータをねじ伏せていくというか。だから言語の魔術師のような天才が現れば、一瞬でそのプログラムを完成させることもできる。
最終目標がはっきりしている点でやりやすいのではないかと思う。Rubyを使って研究している時点でRubyを疑う必要はないし、もしRubyに不便さとか脆弱性があるのならばRubyをバージョンアップすればいいだけの話じゃないのかなぁ、と思うわけですよ。つまり土台の土台は人間が作ったコンクリートで出来てるようなもんじゃないのかな、と。
まぁDryの世界なんてこれっぽっちも知らないので、暴論であることは重々承知しているのではあるが。


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なんという有識者ホイホイw
知的好奇心を刺激され、エンドルフィンがドバドバ出る体験ができるわけか。
夢のようだな。