【考察】outputを積極的にしていこうというお話

自戒の念を込めて。

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情報過多社会と言われるようになり久しい。「RSS」「はてなアンテナ」「SBM」などのツールや、web閲覧をスムーズにこなすアドオンが日々開発され、一日にinputされる情報量は指数関数的に増加している。


それに従い、「ライフハック」「知的生産術」「自分をグーグル化」という言葉が声高に叫ばれ、どれだけ効率的に情報を処理出来るかが、あたかも最重要課題であるかのように扱われている。
もちろん、効率的に情報を処理するスキルは必要だが、それに終始してしまえば身も蓋もない。


人の記憶力なんてたいした事無い。いくらinput量を増やしても、それはほとんど短期記憶にしか残らず、その短期記憶は一日経てばほとんど忘却の彼方である。先週閲覧したサイトの何割を覚えているだろうか?いくら情報処理能力を身につけたところで、google本体の情報量、情報処理能力にかなう事は永遠に無い。


ヒトには知識収集欲がある。「知的好奇心」というポジティブな単語で表されるため、自制しようという気持ちが働き辛い。「知識」は追い求めようとすると際限がない。しかし、その知識量に比例して「知恵」がつくわけではない。むしろ「知識」を追求する事に時間を割けば割く程、自分で考える時間は減っていく。


知識をinputすることは非常に簡単である。ホッテントリをただ漫然と眺めていれば、おもしろそうな題名がいくらでも目につく。それに対して、outputには障壁がある。twitterやブログといったツールによりその障壁はかなり低くなったが、それでも依然存在していることは間違いない。outputするには、inputした知識を咀嚼し、自分の言葉に言い換えるというプロセスが必要となる。この作業はいくらinput量を増やしても身に付かない。逆に様々なサイトを見過ぎると、高尚な文言や自分がこれからoutputしようと思っていた意見ばかり目に付き、ブログを更新しようという意思をくじかれる可能性が高くなる。独創的な発想なんてそうポンポンと出るわけない。そのため、何かしら自分と似た考えを既に書いてるブログなんて山のようにあることを肝に命じておき、ネタがかぶることを百も承知の上で、それでもoutputすることが重要なのである。内容は二の次で、outputすることを習慣づけることそれ自体が目的なのである。


科学者の場合、outputとはすなわち学会(口頭発表、ポスター)、査読論文である。
しかし発表出来るデータがすぐに出るわけも無いので、上記の様なoutputをする機会は非常に限られる。年に数回程度であろう。年数回しかないからこそ、最大限のプレゼンをしなければならない。そのリハーサルとして、ブログを活用すべきである。日頃から自分のブレインストーミングを公開するのである。自分の思考の流れがクリアでないと、文字に起こせない。また下書きをしている時点で、論理の欠陥に気づいたり、知識のあやふやな部分を再認識したりする。普段からこういうプロセスを経る事で経験値を稼いでおき、本番の学会発表で役立てるのである。


結局のところ前回エントリと同じところに行き着くのかもしれない。知識も持てる量が決まっている。どれだけ詰め込もうとしても限界がある。その限界を把握し、「捨てる勇気(知的好奇心を抑える勇気)」が必要なのであろう。