DryとWet

プログラマーに比べ、バイオ研究者に飛び抜けた才能が現れない理由のひとつ
に対する感想。


前半部分読んでいる時、一番最初に思い浮かんだことは「爆問学問」の
上田泰己教授と爆笑問題が対談している場面。あらすじは
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20071211.htmlに軽く載っている。

上田「生命科学の研究を突き詰めると生命の創造、バイオテロなど
   倫理的な問題と科学が正面衝突する時期は間違いなくやってくる。
   そしてそれはもうすぐ、ぎりぎり我々の世代の間にやってくる
   可能性が高いでしょうね。」
太田「あなたは、科学を飛躍的に進歩させることができる、しかし、それは同時に
   世界の破滅を生む可能性もあるという諸刃の剣の技術を自分の手中に収めた
   場合、つまり原爆開発時のアインシュタインの様な立場に立った時に
   こちら側にふんばることはできますか?科学者としてあちら側の
   世界を純粋に見たくなりませんか?」
上田「私はそこの境界でせめぎあいたいですね。」

僕はこの最後の言葉が非常に印象に残っている。
そのせめぎあいこそが科学者の真髄であり科学者冥利に尽きる場面なのであろう。
生命科学は常に倫理面との戦い。
自然に対してどう向き合っていくかを真摯に考えていかなければならない。


ちなみに上田先生は一年でバイオサイエンスの手法を会得、次の一年で
プログラミングの手法を会得、東大大学院在籍時に理研に引っこ抜かれる
とかいう変態っぷりを存分に発揮している天才です。
僕の尊敬する一人であります。あぁ格が違いすぎる・・。
プロフィール


DryもWetも本気で研究をやろうと思えば莫大な費用がかかる。
Wetは言うまでも無く、Dryも実用に耐えうる実験をやろうと
思えば、スパコンを何台も連ねる必要がある。
そういう点ではDryもWetも同じである。
しかし、一家に一台パソコンがあり、Web上にオープンソース
ごろごろ転がっているというDryの状況に比べ、
Wetは敷居が高いという点は確かにある。


それではWetの敷居を下げるための方策とは?
スーツケース型ゲノムシークエンス機なども最近開発されている。
受験のための、形だけの理科だけではなく、頭の柔らかい小学校のうちから
こういった最先端の機器に触れ、少しでも科学に興味を持ってもらうとか?
小さいうちから様々な選択肢があることを子供たちに示す必要がある。
何だかお上任せで面白くないな・・。


色々頭を整理する時間が必要。