未知との融合

きっかけはささいなことだった。twitterでreplore (はてな id:goinger)が何気なくつぶやいた一言。*1

・「ノーパンしゃぶしゃぶとか企画した人間の顔をみてみたい。 あとどういった人物と一緒にそれを練って遂行するためにどういった行動をとったか説明して欲しい。」

確かに、冷静に再考してみると「ノーパン」+「しゃぶしゃぶ」は異色なコラボレーションだ。平凡な一般人には到底考えが及ばない境地である。
全くジャンルの違う二つの要素が組み合わさって大成功を納めた例は枚挙にいとまがない。ちょっと考えただけでも

などが思い浮かぶ。学問の分野においても

とか。

ちょっと話は変わるが

太古の昔、「この全宇宙の真理を解明する」という使命を果たすべく「哲学」「神学」「芸術」などと同時に「科学」はこの世に産み落とされた。よって識者とは「哲学者」であり「神学者」であり「芸術家」であり「科学者」であった。かの有名なニュートンも自らを「自然哲学者」と称している。

しかし現在科学は

学問分野は非常に細分化されており、狭い狭い世界で研究を行わざるを得ない状況におかれている。研究室にいても「隣は何をする人ぞ」である。自分の哲学を持たず、ただ有名論文誌に掲載されることを目的に研究しているエセ科学者*2が山のようにいる。本当の意味での「識者」は現在どれほどいるだろうか。そして現在の「科学」の先に「真理」が待っているのであろうか。

とはいえ

現実に目を向けてみると最先端の研究分野に身を置くと、世界各国の研究者達に追随するだけで精一杯になってしまう。手を動かし、自分の分野の論文を読むだけで日々が過ぎていってしまう。科学が複雑化した現在、この現状をリセットして太古の「識者」のような人物になる事はおそらく不可能であろう。

ではどうするか。

確かに研究は忙しく、頭を使う。しかし、それに没頭することは賢明な選択とはいえない。重要なことはメタ的な視点を持つことである。無から有を生み出すのは非常な困難を伴うが、既にあるものを組み合わせる事は比較的簡単である。自分の分野を他分野の視点から眺めてみる。融合すれば興味深いものが産まれないか考えてみる。組み合わせられるパーツを日頃から多数収集する必要がある。アンテナを広く張り巡らせ、自分の分野とは関係ないや、と思考停止しない。
googleのように1日の20%を他分野の研究に当てるのも手だろう。一日中集中力が持つ程、人間は強くない。リフレッシュがてらに他分野の論文に目を通す、昼食は他分野の人と食べる、他分野の人をfollowしそのpostを読む、などなど少しの行動の変化で、物の見方は大きく変わるだろう。

筆者談

今回もとりとめの無い話になってしまった。話の始まりからは自分でも想像出来ない結論になってしまった。しかもありきたりなまとまり方で、あまりおもしろくない。まぁこれからはアイデアマラソン的に何かと何かを組み合わせた興味深いものを毎日考えていきたいと思う。

*1:ここだけ抜粋すると彼の品格が問われるが、普段の彼はこんな人ではない、と思う・・。。

*2:ここで言うエセ科学者とは、似非科学を唱える人という意味ではなく、論文を書くという手段が目的化してしまっている人のこと。